アメリカ東海岸8日間
日 程:H22.9.7〜9.14
旅 程:福岡空港→成田空港→シカゴ→ボストン→ニューヨーク→フィラデルフィア→
ワシントン→成田空港→福岡空港
○ 自宅を出たのは、未だ薄暗い5時半だった。タクシーで、空港バスの商工団地
乗り場まで行った。この時間結構バスに乗る人が多く、5〜6名ぐらいが乗り場に
集まっていた。福岡空港の集合時間には十分間に合い受付を済ませたが、他に
ツアーの同行者1名いた。50歳前後の派手な夫人で、おかっぱ頭の下を刈り上げて
いる。この人も心細かったと見えて、改札口で待っている時にコーヒーをおごってくれた。
福岡空港でアメリカまでの搭乗手続きや座席の指定も終わっていたので、成田空港
では直接搭乗口に入った。既に他のツアー客に対して添乗員の全体説明は終わって
いたが、それだけ時間の余裕がなかったということだろう。成田からシカゴまでの14時間は、
随分長く感じた。
それにしてもインターネット搭乗手続きという制度は、不便なものだ。前日やってみたが、
空き席が殆どなかった。仕方なくバラバラの席を取って福岡空港に来て、全日空カウンターで
席替えをしてくれた。席は最後尾で揺れはあったが、二人並び席でトイレにも近くて良かった。
○ 1日目のシカゴはミシガン湖半の大きな町で、上空から見ると住宅の大きな敷地に
樹木も大きく育っている計画都市という印象を受けた。いわゆる中西部の町で、ウエスタン
時代に中継都市として栄えた町の一つだろう。シカゴでは時間の感覚も判らず、市内
観光に出かけた。
最初地下鉄の乗車体験ということで各人4ドル50セント出して切符を買い、シカゴ美術館
まで移動した。所変われば品変わるで、切符1枚にしても日本と違う。切符はカード形式
になっており、入れる方向が判らず苦労していた。こうゆう文化の違いも、面白いと思った。
現地ガイドは佐藤さんという、一寸イケ面の現地ガイドだった。 シカゴ暮らしが長く、
詳しい説明をしてくれた。
現地ガイドの佐藤さん シカゴのメトロは殆ど地上を走る
○ シカゴの町は歩きながら、ゆっくり見学した。綺麗な印象の町で派手さは無いが、
西部劇の印象からは程遠い。
ゴッホがデザインしたというモニュメント シカゴは畜産の町で牛の像が
不思議な鏡になっているドーム アメリカらしいビルディング群
○ シカゴ先物取引所跡を見学した。シカゴの歴史と繁栄を、物語るものだと思う。今は
コンピューター化された近代的施設で行われているらしいが、いかにもシカゴらしい遺跡
だと思った。
○ シカゴ美術館は流石に大きく、短時間では廻りきれない感じだ。ガイドが要領良く、
目ぼしい作品を紹介してくれた。外観も美しく、ビクトリア調の建物だった。見たような
絵や作家の作品もあったが、印象に残った絵もあった。ゴッホ、ルノアール、ドガなど
有名画家の作品も沢山あったが、アメリカらしい開拓時代の老夫婦の絵が一番印象に
残った。ルノアールの姉妹像の絵は、筆使いがとても美しい。
開拓時代の老夫婦像(グランド ウッド) ルノアールの姉妹
ゴッホの自画像 ドガの作品
酒場の風景 パリの街角の絵は奥行きが素晴らしい
○ 旅程は強行軍で、夕方空路シカゴからボストンへ移動した。既に実働24時間は、
動いていると思う。シカゴ空港で納冨君に電話をしようと思ったが、海外ローミングの
携帯を持たなかった。公衆電話をしようにも、1ドルコインが無い。両替もうまくいか
なかった。ふと気がついたことだが、1ドルは紙幣ばかりでコインが無い。添乗員も
取り合ってくれず途方に暮れていると、アメリカの老婦人が自分の携帯を貸してくれた。
旅の情けが、身にしみた。ボストンのホテルでも、部屋の電話からかけようとし悪戦
苦闘した。電話の掛け方を間違ったらしいが、頑固者と大変な非難を浴びてしまった。
○ 2日目は朝9時出発と、ゆっくりだった。朝食後ホテル裏のケンブリッジ川畔を散歩
したが、本当に綺麗な岸辺の風景だった。バスの中から見ると、独立戦争時代から
発展した古い町並みは、歴史と伝統のある落ち着いた雰囲気がある。最初向かった
のが、フェアウエイ球場だった。アメリカでもっとも古い球場の一つで、ボストンレッドソックス
には永久欠番の選手が10名くらい居る。現在は元西武ライオンズの松坂大輔や、
岡島選手がいるそうだ。
フェアウエイ球場グリーンモンスターの後ろ辺り テッドウイリアムと子供像
○ ファニエル・ホールやクインマーケットを廻って、ハーバード大学へ向かった。
途中ケンブリッジ川を渡ったが、川は雄大で美しく岸辺をジョギングする人がいた。
○ ハーバード大学は、広大な敷地と緑が美しかった。学生はのびやかに行き来して
いたが、自由闊達な校風と見受けた。ノーベル賞受賞者や大統領始め、多くの著名人
を輩出した大学だそうだ。卒業生ではオバマ大統領や雅子様、その他多くの名前を
聞いた。あとで納冨君も本校に在学したと聞いて、びっくりした。図書館はタイタニック号
で無くなった卒業生の母親が寄贈したという図書館は、壮大な建造物だった。アメリカの
富豪は、桁違いだと思った。
大学の外周 中から見た正門
母親が寄贈した図書館 大学出身の戦没者を祭るメモリアルホール
ビーコンヒルは、レンガ造りの歩道と建物、石畳、ガス灯、街路樹、まるでイングランドの
古い街並みを思わせるような美しい住宅街だった。
○ 午後ボストン美術館を見学した。100年以上の歴史を持ち、アメリカを代表する
美術館の一つだそうだ。
何処かで見たようなゴーギャンの絵 ゴッホの人物画は印象深い
美しいルノアールの絵 ゴッホの絵は懐かしい
○ 3日目はアムトラックに乗って、ボストンからニューヨークへ移動した。4時間の行程
だったが、左程退屈しなかった。ボストン駅で、ホテルで貰ったパン食を食べた。
丁度通勤時間帯で多くの人でごった返していたが、おおらかさを感じる混雑ぶりに思えた。
アメリカの良いところだろう。列車は左程豪華ではないが座席が広く、ゆったりとした
鉄道の旅だった。
○ 最初はソーホー地区に向かった。ソーホー地区とは “South of Houston Street”
から来ているらしいが、元々は工場や倉庫群の町だったらしい。その家賃が安く、天井が
高く、窓が大きい倉庫跡地に、芸術家やデザイナーが住み着いたらしい。近年は高感度な
高級ブティック・レストラン街となっているという。
昼食は中華街のレストランで食べたが、中華料理は食べやすく美味しかった。
アメリカでの中国人像は違和感を覚える ニューヨークの町は活気に溢れていた
○ タイムズスクェアを経て、エンパイアステートビル、5番街、ロックフェラーセンターなど
有名な場所を見学したが、良く覚えていない。多分時差ボケが出て、バスの中で眠って
しまったらしい。印象に残ったのは、世界貿易センタービル跡地の見学だ。アメリカを
大きく変えてしまった”9.11事件“の爪痕が未だ生々しく残っている。いわゆるグラウンドゼロは
工事の真最中で、如何にその後遺症が大きかったかということが判る。2001年というから
丁度9年前のことだがアメリカの国力をもってしても、余りにもダメージの大きい事件だったようだ。
建設現場にはアメリカらしい活気と、バイタリティーが感じられた。
○ 国連ビル見学は、また感慨深いものだった。各国の旗が立ち並び、世界の国が
話し合う場を持っているということだけでも、素晴らしいことだ。国連の無力化が叫ばれて
いるが、現地に来てみるとそういう気は起らない。利害が対立して話し合いがつかない
場合が多いと思うが、こうゆう場所があるということだけでも意義深いものがある。
○ 4日目はゆっくり起きて、自由の女神像の観光から始まった。いかにもアメリカらしい
風景だが、やっぱり感激した。アメリカ人の言う「フリーダム」の、象徴としての女神像には
感動した。本や新聞で何度も見ているはずだが、本物は何か違うものがある。何が違うかと
思ったが、巨大なビルが立ち並ぶマンハッタン島や入国審査場跡など、周りの風景による
ものかもしれない。先入観が入りすぎて、何か懐かしさを覚える風景だ。アメリカ独立
100周年に、フランスから送られたということだ。パリに行ったときセーヌ川のほとりで
アメリカの方を向いている自由の女神を見たが、漸くその片割れにあった気がした。
遠くに見えた自由の女神 マンハッタン島のビル群
船は3千トンクラスの小さな船だが、乗客はアメリカ人が多かった。地方から来た人や、
祖先が通ってきた移民管理局跡を見学に来た人が多いと言う。アメリカは歴史が浅い
というが、そればかりではないと思った。
フェリー内はアメリカ人が多かった 移民管理局跡
エリス島の風景
間近に見る自由の女神は大きいだけでなく、美しかった。アメリカが誇る、モニュメント
だけのことはある。リバティ島に上陸してみると、さらにその良さが判った。
高さ92.99mの威容
帰りの船上から見たマンハッタン島の風景や、遠くに見える壮大なブリッジの風景も心に
残った。何れもこれがニューヨークかという、風景だった。
その後サウスストリートシーポートまで移動し、昼食兼買い物をした。昼食に久しぶりに
うどんを食べたが、やはりアメリカ流は不味い。
○ 昼食後、メトロポリタン美術館を見学した。世界3大美術館というが、流石に展示品は
素晴らしいものばっかりだった。ゴッホ、ピカソ、モネ、ゴーギャンなど有名な画家の作品を
沢山見た。余りの素晴らしさに、疲れを忘れ見て回った。これでアメリカ3大美術館を
見たわけだが、絵の美しさは心打たれるものがある。本当は、もっとゆっくり見るべき
ものかもしれない。
○ 帰りのセントラルパークへ行ったが、童話の世界の像が可愛らしかった。アメリカは
公園も素晴らしい。
○ 夜「ステーキディナーとトップオブザロックでの夜景観光」という、オプションに参加した。
分厚いステーキとワインを飲んで堪能した。それよりもロックフェラービルのブルーの
ライトアップが美しかった。
○ 5日目は、いよいよワシントンに行くことになった。バスでフィラデルフィアへ
向かったが、独立戦争時一次暫定首都が置かれた町だという。独立記念館と
独立の鐘を見たが、自由と独立の象徴らしい。大勢のアメリカ人が、今更のように
注視していたのが印象に残った。
独立記念館にて 独立の鐘
○ ワシントンに18時頃着いたが、既に納冨君がホテルで待っていてくれた。
やや太り気味だったが、国内にいる時と全く変わらない感じだった。奥さんと文香
ちゃんも交えて、蟹を食べに行こうということになった。車の中で奥さんが話して
いたが、健康診断で採血が荒っぽく腕が青染んでしまったということだ。アメリカは、
良いことばかりではないなと思った。蟹はワタリガニで茹でたものを、木槌で叩き
割って食べるというものだった。豪快な食べ方があるものだと、感心した。我々は
5人で最初半ダース頼んで後で半ダース追加注文をしたが、後ろの席の二人
連れは、5ダース食べたという。感心するやら、呆れるやら。蟹はとても美味しかった。
ビールは土地のものいうことだったが、飲みやすく美味かった。ホテルに送って
貰った後、あくる日の打ち合わせをして別れた。
○ 6日目はツアーから離れて、納冨君の案内でワシントンDCを見学した。DCというのは
コロンビア特別区(Distric of Coiumbia)と言って、連邦政府が設計した計画都市だそうだ。
元々の地形は沼地だったという。今では歴史、美ししい建築、素晴らしい文化の中心地
として、年間100万人の観光客をひきつけている。
ホテルまでは車で迎えに来てくれたが、外交官ナンバーが付いている。アメリカで駐在
武官となった彼と話すのは、何か不思議な感覚だ。最初ホワイトハウスに行った。
世界の政治を動かすホワイトハウスを間近に見て、感慨もひとしおだった。それにしても
緑の芝生と白い建物が調和し、静かで美しく平和な雰囲気に包まれている。
歩いて散策しているときに、ニュース良く出てくるモニュメントが見えてきた。移動中公園で
多くの白人が集まって集会をしていたが、すでに中間選挙の準備なのか。
ワシントン記念塔169m
○ 昼食時になったので、ワシントン駅に行った。ワシントン駅は単なる駅ではなく、
デパートや公共機関が一緒になったワシントンの臍みたいな感じの処だ。ここで
彼が推奨するハンバーグを食べた。前から思っていたが、アメリカサイズは大きくて
とても食べ切れない。アメリカ人の体型が、ビッグサイズの人が多いのは納得できた。
昼食後、硫黄島戦没者記念公園に立ち寄った。硫黄島の写真のモニュメントが立ち、
美しい公園だった。
ワシントン駅構内 硫黄島戦没者記念公園
○ その後、外交官特権で陸軍歩兵第8連隊の正門から基地に入り、葬儀用の馬や
馬具を見た。第8連隊の任務は、首都防衛と軍歴のある人の葬送と言うことだった。
部隊葬のための特別小隊と装備を持っているという。駐屯地内のPXへ行き、旅行の
お土産を買った。PXはノータックで値段が3割くらい安く、アメリカでは軍人が優遇さ
れているのが良く分かる。納冨君が突然、如何にも退役軍人らしき人に話しかけた。
様子を見ていると、退役軍人らしい人はいかにも嬉しそうな表情をしていた。奥さんらしい
人も加わってしばらく話をしていたが、後で聞くと退役された陸軍中将らしい。退役された
人に親しく声をかけ、あれほど喜んでもらえるのは納冨君の人徳だと思う。素晴らしい
光景を見た思いがした。
○ 駐屯地から直接、アーリントン国立墓地へ出た。綺麗に整備された芝生に、無数の
墓標が立ち並んでいる。ケネディ家の墓があり、高台から遠くにホワイトハウスが見えた。
○ 感激したのは、墓地を護る特別小隊の衛兵交代式だ。儀式用の服装や装備に身を
固めた衛兵が、毅然とした態度でパトロールをやっている。交替式は特に厳かだった。
交替式の準備に7時間くらい時間をかけて、銃の手入れや身だしなみを整えるそうだ。
見ていて先輩軍人に対する、真摯な態度が見て取れた。アメリカ軍人の、モラルと士気を
見た思いがした。
○ 帰りがけにペンタゴンに立ち寄った。9.11事件で被害を受けた場所や、犠牲に
なった人を祀る公園を見た。
白い部分が飛行機の突入箇所 航空機犠牲者のモニュメント
○ 一通り見学を終え日が傾いてきたが、帰りに納冨君の自宅へ寄れという。家は
地下1階、地上2階、レンガ造りの豪華な家だった。別荘風の作りで、家の周りの木も
見上げるほどに大きい。家賃が15万円でガレージ付き、風呂が2つにメイド部屋もある
という。志方さんが残されたという、壺も飾ってあった。最近では予算も十分には無いらしい。
国を代表する駐在武官には、ふさわしい待遇をしてもらいたいものだ。印象に残ったのは
奥さんも茶道で各国武官夫人を接待して、パーティをしばしば催して大変なようだ。
小学校2年生になる文香ちゃんの、英語交じりの表現やジェスチャーがとても可愛かった。
○ 帰りはDCから全日空の飛行機で、真っ直ぐ成田飛行場に向かった。ワシントン空港を
飛び立つとき、不覚にも眠ってしまった。すると気圧の関係か、体調を崩してしまった。
鼾をかいて、もがいていたらしい。気絶したような状態になったようで、恐ろしいことだと思った。
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