エジプト・トルコ13日間
・ 22年5月25日(火)〜6月6日(日)
日本では未だ長袖の時期で、朝夕は肌寒さを覚えるくらいだった。娘たちに長旅の留守を頼んで
出たが、何となく気がかりの多い出発だった。
・ エジプト・トルコ経路図
旅程
福岡→関西空港→ルクソール→カイロ→アレキサンドリア→ギザ→エジプト空港→イスタンプール
→アンカラ→カッパドキア→コンヤ→パムツカレ→エフェソス→アイワクル→トロイ→イスタンプール
→エジプト空港→関西空港→福岡空港
○ エジプトの概容
エジプトはナイル川の国、川が無かったら何にもないと思った。国土の9割は砂漠地帯である。
東と北は、其々紅海と地中海に接している。南はナイル 川上流のスーダン、西はリビアに
接している。国土を南北に縦断するナイル川周辺と、カイロを扇の要とする三角州地帯には豊かな
緑がある。あとは僅かに、オアシス都市があるだけである。国土は汚くゴミの山、子供は貧しく
学校は見当たらない。砂漠地帯のせいか、メガネをかけた人は見かけない。砂漠地帯には視力
が5.0の人がざらにいると聞いたが、どのくらい見えるか想像もつかない。エジプト空港の免税店で、
店員がうすら笑いをして釣銭を返さないのには呆れた。敬虔なイスラム教徒がおり、一日5回の
礼拝を真摯に行っている。嘘や約束破りの多い国民性とのギャップがどうしても埋まらない。
● 25日(火):福岡空港→関西空港→ルクソール空港
エジプト航空で行ったが、14時間の飛行は流石に長かった。座席はやや大きいが、機内サービスは
余り良くない。
● 26日(水):ルクソール見学
ルクソールの印象は遺跡の町、古代エジプト時代テーベという首都だったそうだ。ナイル川の
外辺は、荒涼たる砂漠や岩山に囲まれている。川は流石に大きく、悠々たる風格がある。
ルクソール空港からナイル川を渡り西岸へ
最初見た遺跡はメムノンの巨像、色の黒い男の物売りが沢山いて取り囲まれると不気味だった。
この人たちは他に、何か仕事はないのかと勿体なく思う。王家の谷の岩山を背景に、2体の巨像が
並び立つ。
身なりは貧しいが赤銅色の立派な顔をした物売り、背丈は左程ないが鼻が高く皆美男子
次いでハトシェスプト女王葬祭殿、岩山の谷間の聳える壮大な遺跡だった。時間帯が昼近くになり、
40度近い暑さにややゲンナリしながら見学した。ラムセス2世の母親の葬祭殿と言う。巨大な
谷間に木が1本も無い異様な光景だが、枯れ木が残り昔は水もあったという。この光景が、暑さに
拍車をかけているようだ。
ハトシェスプト女王葬祭殿の見学、目が眩みそうな暑さ
葬祭殿の中は壁画が一杯
昼食を挟んでルクソール東岸の見学、最初はルクソール神殿だった。午後のエジプトは42度、
5月の日本から急に真夏に入った感じだ。ガイドが42度と言っていたが爽やかな5月から、陽炎が
立ち頭はボーとなるような暑さに尻込みしてしまう。見学を断念しバスで待つ人や、途中から引き
返す人もいた。ガイドはエジプト7000年の歴史に大変な誇りを持っているらしく、こんな時に限って
説明に力が入る。延々と続く説明を聞きながら、目が眩み気は遠くなってきた。神殿の入り口には
アメン神を送り迎えしたという、人頭スフィンクスが出迎える。
ルクソール神殿
ラムセス2世の巨像
大列柱廊 25mのアラベスク(1体の石柱)
ラムセス2世坐像 ラムセス2世の中庭
続いて、カルナック神殿に向かった。もう何も見る気力も無く、暑さが厳しすぎてジュースだけ飲んで
おとなしくしていた。夕方ルクソール駅から、1等寝台列車でカイロまで移動した。旅の情報誌に
オリエント急行で有名な、ワゴン・リーの車両が走っていると載っていた。しかしどう見ても期待
外れで、昭和初期の2等列車のありさまだ。駅舎でかなり待たされたが、ビールはイスラム教の
影響とかで高くてまずい。個室寝台でほっとする部分は有るが、車両やトイレは汚いしボーイも
ごつい男たちだった。夕食も朝食も部屋に運んでくれるが、インスタントものが多く美味くはなかった。
しかし9時間余の寝台列車の旅は、適度の揺れと冷房で疲れを取る睡眠が出来た。
● 27日(木):カイロ市内及びオールドカイロ見学
午前中カイロ発祥の地、オールドカイロを見学した。日差しは強いが朝の中は未だ凌ぎやすい。
エル・ムアラッカ教会、アブセルカ教会、ベン・エズラ・シナゴークなど見て回ったが、エジプトはキリスト教
にとっても発祥の地と言うことでびっくりした。エジプトはルクソールでの乱射事件の後、観光ポリスを
至る所に配置しているそうだ。教会の入り口や内部に自動小銃を持った警官が配置されているが、
モラルはあまり高くはなさそうだ。飲んだり食ったりして、余り役に立つとは思えない。
アブセルカ教会(イスラム教) モーゼとマリアの図(キリスト教)
午後はカイロ市内にある、エジプト考古学博物館を見学した。立派な施設で、展示品も多かった。
流石に5000年の歴史を一堂に展示するとなると、半日の見学ではとても見ることはできない。頼りの
カメラも、入口で預かれてしまい残念だ。ガイドの説明も一段と熱を帯びてきたが、ツアー客は一歩
引いた状態だった。目玉はツタンカーメンの黄金の品々とあるが、本物の一部はイギリス大英博物館に
持っていかれているというのでやや寂しい。
博物館は立派 博物館前の小スフィンクス
帰り道中華料理屋に行って、うどん風中華そばが出たが、これが恐ろしく不味い。後々までツアー客の
間で、語り草になるほどだった。これからギザに3連泊するが、先が思いやられる。車窓から見た
カイロは、大都市だが恐ろしく汚い。発掘途中の遺跡が彼方此方にあり、むき出しになっている。
運河が張り巡らされているが、常時浚渫しているみたいだ。この土を運河の両岸に積み上げているが、
ビニールや、発泡スチロールなどが山積みになっている。ゴミは運河に、捨て放題になっているようだ。
汚いといえば、エジプト紙幣が恐ろしく汚い。触っただけで病気になりそうな、汚れ方をしている。
それに比べて、コインはデザインも良く立派だった。
● 28日(金):列車にてアレキサンドリア日帰り観光
ラムセス中央駅は、立派な建物だが汚い。心なしか空がどんよりと曇ったように見えるが、砂嵐の
せいらしい。駅ではマスクをかけて歩いた。ガイドは本名「ムハンマド」さん、俗称「ハマー」と呼ぶそうだ。
自分で「浜ちゃん」と呼んで下さいと言っていたが、まさに釣りバカ日記の浜ちゃんを彷彿させる
好人物である。愛くるしい顔に巧みな日本語で、優秀なガイドだった。約束は守らないが、とても
勉強家で博多弁を習っていた。
ラムセス中央駅にて
3時間の列車の旅は、クーラーがガンガン利いており快適だった。途中の風景はナイル川デルタ
地帯の田園風景だった。何度かナイル川を渡ったが、なんだかほっとする風景だ。耕作機械は余り
無く、牛や馬の姿が多かった。農民はムームーに似た体をスッポリ覆う長い服を着ていたが、あれで
暑くはないのだろうか。アレキサンドリアは地中海沿岸にある古代都市だが、カイロとは空気が違う。
海洋性の気候に空が明るい。久しぶりに見る海が、綺麗だった。
アレキサンドリアのスイカ市 名物の路面電車
アレキサンドリアの空は、ぬけるように青い。風は海洋気候で爽やかな感じがする。ポンペイの柱見学は
暑かったが、木陰に入ると涼しい。
高さ30mのポンペイの柱、手前にスフィンクスが見える
スフィンクス 食事したレストランから見た地中海
グレコローマン時代の国立博物館 外見も明るいアレキサンドリア駅
● 29日(土):ギザのピラミッド見学
サラッカ、ダハシュール、メンフィス遺跡を見学した。暑いのは暑いが、ルクソール程ではない。また
砂漠地帯特有の砂嵐もこの時期は少なく、条件としては良い方ではないか。3月頃行くと、マスク
無しでは動けないらしい。
屈折ピラミッドは表面を覆う化粧石が綺麗に残っている。途中から角度が変わっている。
1面が綺麗な二等辺三角形をした真正ピラミッド、別名赤のピラミッド
メンフィス遺跡は古代エジプトが始まった時の、最初の首都と言うことだ。
ラムセス2世の巨像 アラバスター製(大理石の一種)のスフィンクス
午後はギザの三大ピラミッド、同時に見られる場所には薄く砂嵐があった。
左からメンカフラー王、カフラー王、クフ王のピラミッド
スフィンクス ギザでは痩せたラクダに乗った
○ トルコの概容
アジアとヨーロッパに、またがる国である。東と西の文化が交りあい、東西文化の十字路と言われる
所以だろう。北は黒海、西はエーゲ海、南は地中海に面し、国土は日本の6倍という。トルコの
近代化を目指し「日本に学べ」とスローガンを掲げたことや、ロシヤを破ったことで日本には近親感を
持っている。国土は広く土は痩せている。樹木は小さく、豊かには見えない。不思議なことに一部を
除いて、鉄道は発達していない。こうゆう国土にこそ新幹線が必要と思うのだが、ガイドの説明に
よるとガソリン税が欲しいために国策として鉄道を作らないとか。ちなみにガソリンの値段は、リッター
220〜230円くらいという。イスタンプールの町は、景色とエキゾチックな雰囲気が素晴らしい。
● 30日(日):イスタンプール観光
エジプト空港から、イスタンプールへ3時間の旅だった。イスタンプールの町は、カイロに比べて
美しかった。午後ブルーモスクを見学したが、6本の尖塔と白壁のシルエットが美しい巨大な建物だ。
教会前では明日割礼の儀式に臨むという子供が、きらびやかな服装で楽しんでいるのが印象的
だった。日本で言えば、七五三の雰囲気だ。
壮大なブルーモスク、尖塔は本来5本の予定だった
ブルーと言うのは、内部のステンドグラスの色
歩いてトプカプ宮殿に向かったが、ここには素晴らしい景色が待っていた。トルコのガイドは、
オーズさんと言って中年の男性だった。エジプトとは正反対で、怒りっぽいし時間に遅れる。
話を聞かないと怒りだすので、ツアー客の評判は良くなかった。元大理石商社の営業マンで、
日本に何度か行って日本語を覚えたらしい。
トプカプ宮殿の入り口 トルコ人ガイド オーズさん
宮殿からの、ボスフォラス海峡の景色は抜群だった。黒海とエーゲ海を繋ぐ細い海峡で、対岸は
ヨーロッパサイドになる。つまり、アジアとヨーロッパの境目になる。ガイドの話によると黒海の方で
30cmくらい潮位が高いので、海流が物凄く早いそうだ。色々な国籍の人が、見とれていた。
多人種入り混じって見とれるボスフォラス海峡
宮殿のテラスに行ってみると、宮崎さんと言う添乗員がうっとりとした表情で海峡を眺めていた。
聞いてみるとこの景色を見たさに、個人的に来たこともあるという。添乗員は40歳代で、お稲荷
さんの門番みたいな風貌・スタイルだが、恋多き女性のようだ。彼氏がトルコに居るらしい。
そういえば、バスの中で東京の若い添乗員がトルコ人のガイドと仲良くなった話をしていた。
若い添乗員は再会を約してトルコを訪れたが、再び会うことは無かったという。案外、自分自身の
ことではなかったかという気がする。
宮殿のテラスから見た海峡 カフェで飲んだコーヒーは美味かった
豪華な装飾のハレム 中庭にはバラの花が咲き乱れている
夜になって、イスタンプールからアンカラ エクスプレスに乗り、9時間近くかけてアンカラへ向かった。
車窓から見えるのは、どこまでも続く畑と丘陵の広大な景色である。
● 31日(月):カッパドキア
アンカラには、朝7時10分くらいに着いた。バスでカッパドキアに向かったが、昼食は洞窟レストランで
マス料理を食べた。
踊りの弟子山下さん
最初訪れたのはギョメロ博物館、ギョメロの谷には妖岩・奇岩が一杯あった。
カッパドキアのこの景色は凝灰岩と熔岩層が幾重にも重なり、雨や風の浸食によりキノコのような奇妙な形を作り出す。
● 6月1日(火):引き続きカッパドキアの見学
カイマルク地下都市は、キリスト教徒がイスラム教徒の迫害を逃れ地中に巨大都市を作った遺跡と
言うことだ。同じ人間が、作ったものとは思えない。中には教会あり厨房ありで、全ての生活が出来る
ようになっている。昔はイスラム教徒を恐れて、外から見えないようになっていたらしい。近くにトルコ
ソフトクリームを売っていたが、ねっとりしていて美味しい。粘り気があり棒でかき回し持ち上げると、
一固まりになって餅飴のように付いてくる。派手な衣装に、ソフトクリームを渡すときのパフォーマンスが
面白かった。
カイマルク地下都市 トルコソフトクリーム売りのおじさん
カッパドキア観光が終わると、バスで230km移動しコンヤに向かう。バスはVIPバスと称して、客席が
3列になっている。幅も長さもゆったりとして、このツアーのうたい文句の一つになっている。トルコの
地は広大で500km近く走ることもあったが、快適に眠れて良かった。
途中トルコ絨毯の店に、立ち寄った。手織り絨毯のパフォーマンスには、驚かされた。細かい手作業も
さることながら、完成まで1年近くかかるそうだ。トイレで鼻歌を歌い髭の手入れをしていた人が、
マネージャーらしい。猛烈な売り込みに、トルコ人の特性の一端を見た思いがする。
この頃になると、ツアー同行者の名前や個性が識別できるようになって、面白くなる。若柳流の踊りの
師匠とお弟子さんは、良く飲み良く食べる。師匠はかなり太っているが、身のこなしが何となくスマートで、
動きを見せる職業がそうさせているのかなと感心した。山口から来た夫婦は、奥さんはシャキシャキで
元気だが、ご主人はとても大人しくツアー中ずっと下痢をしていたようだ。黒木から来た茅島さんは、
八女弁丸出しで懐かしかった。聞けば海外旅行をし尽くして、皆が最後に行くのはスエーデンとか
言っていた。
● 2日(水):メヴラーナ博物館を経てパムツカレへ、
コンヤ市内では、メヴラーナ博物館を見学する。メヴラーナ教団は、無我の境で旋回舞踊をするのが
特徴だそうだ。青タイルのとんがり屋根を持つ塔が印象的で、コンヤのシンボルになっている。
三々五々集まり遂には集合写真に
バスで移動中、イズニック柄陶器の工房に寄った。陶工の見事な腕さばきや、ブルーの皿は見事
だった。
410km走って、午後パムツカレに到着した。石灰棚の白さとスケールには、ビックリした。
ユネスコの世界遺産に登録された石灰棚は、まさに天然の芸術品だ。パムツカレというのは
「綿の城」という意味らしいが、厚さ300mにもなる石灰棚には圧倒される。
石灰棚の上にヒエラポリスという10万都市が栄えていたという
石灰棚の上を歩きまわり、足湯を楽しんだ
夜、ホテルでは温泉プールで泳ぎ、ベリーダンスを楽しんだ。ベリーダンスはセクシーというよりも、
土人の踊りという感じだった。グアムやハワイの踊りと一緒で、リズムが心地良かった。
● 3日(木):エフェソス
トルコの主要交通手段はバス、3時間走ってエフェソスへ向かった。ギリシャの色濃い地中海沿岸の
海洋都市で、ヘレニズム時代の遺跡が素晴らしかった。
ギリシャ風の大理石通り:石畳が大理石
塔の上でコウノトリが子育て アルテミス神殿跡
壮大なスケールの円形劇場
バス移動の途中、白や赤の美しい花畑が見える。ガイドの説明で、けし畑ということだった。
この国では麻薬の生産が認められているらしい。車窓から見る限り火山灰地帯のせいか、
大きな木は見当たらない。広大な畑は有るが、痩せているようだ。広々とした麦・たばこ畑や
けし畑が延々と続くが、国営農場が多いという。アイワクルへ向かう途中、革製品の店に寄った。
世界美女コンテストで何回か優勝したというイズミール美人によるファッションショウに始まり、
猛烈な売り込みが始まった。今まで香水にも、トルコ石にも興味を示さなかった家内が、雰囲気と
集団心理に負けて10万円くらいの革コートを買った。不公平と思ったのか、ついでに私の
革ジャンも買った。着ることは無いかもしれないが、雰囲気が面白かった。
アイワクルには早く着いたので、ホテルに隣接するエーゲ海の海水浴場とホテルのプールで泳いだ。
アイワクルでは、海岸もプールも設備が素晴らしかった。
● 4日(木):トロイの遺跡
アイワクルからトロイへの道中は、アメリカンチェリーの木が延々と続く。アメリカンと名が付いて
いるが、トルコでの生産量が一番多いそうだ。この頃になると、地形が東の山国から西の海岸
沿いに向かって下っているのがハッキリわかる。トロイは紀元前3000年頃から繁栄と没落を
繰り返した町で、シユリ−マンが長い年月をかけて発掘した。場所によっては遺跡が9層にも
積み重なっており、アレキサンダー大王の時代から、ローマ時代とあらゆる文化の影響を受けて
いるようだ。入口に伝説上の、木馬のレプリカが置いてある。
何層にも重なる遺跡
昼食後ダーダネルス海峡をフェリーで渡り、イスタンプールへ向かう。
フェリーから見たアジアサイドには色々な遺跡が見える
● 5日(金):グランドバザール
出発がゆっくりだったので、朝からタイタニックホテルの地下プールで泳いだ。
昼食後、イスタンプール最大の市場であるグランドバザールで、買い物を楽しんだ。
バザールは何でもありのスケール、賑やかさだった。トルコ人の活力が感じられる処だ。今まで
観光地で売っていた土産や革製品、宝石、衣装、全てが揃っている。子供や孫のために、Tシャツを
買ったが、未だ値切り方が下手だったようだ。
● 6日(土):カイロ経由で関西空港へ
帰りは偏西風に乗る影響か、12時間の飛行だった。経験と慣れで往き程は長く感じなかった。
● 7日(日):夕方関西空港へ着き福岡へ
長かったような短かったような気分だが、無事帰れて良かった。
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