北欧8日間

  今度の北欧への旅は、フィヨルドを初めとする自然が目的だった。しかし現地で考えさせられた
 のは、徹底した福祉 制度についてだった。現地ガイドの話では、税金は4割負担だが、教育は
 大学まで無料、病気時の負担は最大3万円まで、 老後は年金の8割を納めれば終身見てくれると
 良いこと尽くめだ。夕食のときにも話題になったが、男は総じて懐疑的で
 女は肯定的だった。男性は「能力のある人は、意欲を無くすのではないか」とか「共産主義と一緒で、
 逆の平等社会だ」 とか、疑問が解けないようだった。女性は「生まれた時からそうだから、不思議に
 思わないのだ」とか「日本人は良い 教育・良い会社を目指せとか、洗脳されている」とか言って、
 羨ましがっていた。この話が一番面白かったが、現地の 人の
をみると明るい幸せそうな顔を
 していた。朝3時から夜の10時ころまで明るいが気候はどんよりしていて、 からっとした明るさ
 がない。厳しい気候が助け合いの精神を育んだというが、やはり「まほろばの国」という感じはしない。

日時:平成26年6月16日(月)〜23日(月)       

場所:スエーデン・デンマーク・ノルウエー


◎ 旅程は飛行機、鉄道、船、バス等バラエティーに富んでおり、飽きることは無かった。

 福岡空港(航空機)→アムステルダム(航空機)→ストックホルム(鉄道)→コペンハーゲン(船)

 →オスロ(バス)→ハンダゲルフィヨルド地区(バス・鉄道・船)
→ベルゲン(航空機)

 →アムステルダム(航空機)→福岡空港へ


   

  1日目(6月16日:月)

 福岡空港に8時25分集合ということで、朝1番の久大線に乗って出発した。荷物は宅配便で送って
いたので、これは楽だった。空港に着くと既に数名のツアーの人が来ていたが、未だ早い方だった。
添乗員の説明を聞き、3か国通貨の両替も済んでKLMオランダ空港の飛行機に乗り込んだ。福岡空港
からヨーロッパへの直行便は最近始まったばかりだが、毎週4便(月、火、木、土)運行されており
大変便利になった。飛行機はボーイング777型機で、かつて国内便でも使用されていた。11時間の
飛行時間は流石に長く感じたが、殆ど眠っていた。飛行経路を見ると、福岡−韓国−中国−モンゴル
−ロシア南部−ポーランド−ドイツを経てアムステルダムへ続いていた。アムステルダムのスキポール
空港に着いたのは、定刻の14時45分だった。



        ボーイング777

 アムステルダムで約6時間の乗り継ぎ時間があり、ストックホルムに着いたのは23時だった。
びっくりしたのは夜11時だというのに、空の一部が未だ薄明るかったことだ。完全ではないが、
正に白夜の光景に驚いた。ホテルにはバスで、24時頃着いた。


 
            夜空は白夜の様相 

  2日目(6月17日:火)

  出発が9時半と遅かったので、朝食後ホテルの周りを歩いてみた。ホテルはスカンディクホテルと
 言い、かなり大きな ホテルだった。フロントに続く庭園は5階くらいまで吹き抜けにして暖房設備を
 施し、巨木・池・滝やブロンズ像を配置 したスケールの大きい作りだった。外気温は14°C位で
 寒そうだったので、ウインドブレーカーを着て行くことにした。

 
 

     高層ホテル               壮大な吹き抜け

 ストックホルムは人口75万人のスウェーデンの首都で、北欧を代表する世界都市である。
「水の都」、「北欧のヴェネツィア」ともいわれ、水の上に浮いているような都市と言われる。
最初に向かったのはノーベル賞の晩餐会が開かれる、ストックホルムの市庁舎だった。建築家
ラグナル・エストベリの設計により建設され、メーラレン湖に面している。ナショナル
・ロマンティシズム建築の傑作で、ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿を意識したと伝えられている。 

  

  豪華な意匠の市庁舎        メーラレン湖畔の像          対岸に豪華な建物

 現地ガイドで男性の土屋さんは、スウェーデン暮らし43年だそうだ。ストックホルムの案内を
してくれたが、彼から見た日本観が面白かった。「日本はノーベル賞受賞者を多数輩出しているが、
揉め事の多い中国や韓国はノーベル賞受賞者が一人も居ない。
これが彼らの、トラウマになっている」と言っていた。60歳位に見えるから、10代でこちらに
来たことになる。外国にいる日本人は、強烈に日本贔屓なのだなと思った。彼の案内で、引き続き
市庁舎の中を見学した。中にストックホルムの地図があったが、正に水上都市で縦横に水路がめぐら
されている。黄金の間の輝きが、印象に残った。

 

  

  現地ガイドの土屋さん        黄金の間             晩餐会の食器

その後旧市街地ガムラスタン地区を見たが、全て石畳で時代を感じさせる街だった。小学校があったが、
既に夏休みに入っているという。
  

 

      歩道は全て石畳                人がやっと歩ける狭い路地

 その後、スウェーデン国王の居城であった王宮に行った。丁度衛兵の交代式があっており、楽隊と
2個小隊が交替する様子が見て取れた。服装はきらびやかだが、衛兵のお腹は出ており動作に節度は
無かった。


 

     交代式に楽隊が付く               太り気味の衛兵もいる


 午後は北欧を代表するという高速列車に乗り、コペンハーゲンに向かった。スウェーデンとデンマーク
の首都を結ぶ路線だが、高速というほどのスピードは無く5時間近くかかった。しかし時間は正確で、
予定通りコペンハーゲンに着いた。面白かったのは座席の半分が逆向きで、回転も反転もできない。
半分の人は進行方向とは逆向きで、最後まで乗ることになる。変な連想だが超福祉社会の、助け合いの
精神を見た思いがした。半分の人が高税・高負担に耐え、半分が幸せを享受する図を体現したものだと
思った。日本だったら前向きに座りたいと、ギャーギャー文句が出るだろう。カルチャーショック、
その1だった。ホテルには予定通り、21時頃着いた。


○ 3日目(6月18日:水)
  スカンディックホテルを9時に出て、デンマーク国王が住むアンリエンボー宮殿に向かった。今日の
 現地ガイドは森さんという女性だったが、デンマークの様子を上手く説明していた。デンマークは山の
 無い国で、山への憧れが人一倍強いという。そのためか、有名な登山家が沢山出ているそうだ。
 「北欧のパリ」と比喩されるコペンハーゲンは最近自転車道路の整備が進み、急激に自転車の
 利用が進んでいるということだ。幅2〜3mの自転車道が整備され、 町中に自転車が目立っている。
 この度世界で最も住みやすい街の第一位になったそうだが、頷ける気がする。東京は第3位、福岡市は
 第10位だそうだが、見た目も大きな差がある。緑が気持ち良いし、自転車道の整備が行き届いている。
 また自転車に乗っている人たちが、生きいきとして見えるのが魅力的だ。日本も自転車道路の整備が
 進めば、もっとランクが上がるかもしれない。途中バラなどの美しい花が満開で、北欧は一番良い季節
 だなと思った。

  

 スカンディックホテル          薔薇が見事だった        綺麗に整備された歩道

 

  アンリエンボー宮殿では美しい服装をした衛兵がガードしていたが、流石に現国王の居城という
 ことで態度は厳格 だった。この宮殿は、八角形の広場の周りに配された典型的な
4つのロココ調の
 宮殿からなる。広場の中央にはこの宮殿の造営者であるフレデリク
5世の騎馬像がある。宮殿前広場は
 市民に開放されており、衛兵交代式も観光行事になっている。衛兵の規律は高く、観光客が禁止区域に
 入ろうとするとすかさず大声で注意する。衛兵の動作もきびきびとしており、衛兵交代も見応えがあった。

  

   衛兵交代            フレデリック5世像          皇太子の居宅

 続いて有名な、人魚姫の像へ行った。気温は15°C位だが、日差しは暖かかった。夏休みに入った
 小学生が、大勢来ていた。

 

  人魚姫の像は静かに佇んでいた             小学生の白い髪が印象的

  次にコペンハーゲンで最も活気のある町と云われている、ニューハウン地区へ行った。ニューハウンとは
 「新港」という意味であり、国王クリスチャン
5世によって1670年代に建設された。埠頭となる水路があり、
 ヨットや観光船が行き来している。カラフルな街並みが、港とマッチして美しい。

  

      港そして美しい街並み           アンデルセンが住んでいたという赤い建物

  夕方大型客船、35,498トンのDFDSシーウェイズ号に乗り込んだ。右にスウェーデン左にデンマーク
 を見ながら、静かに16時間の船旅に出た。


  船は見上げるほど大きい      右にスェーデンが見える      左はデンマークの島

  船の中でツアーの添乗員と話をしたが、経験豊富で面白い話が聞けた。契約社員ということだが非常に
 馬力があり、いくら話しても疲れを知らない感じだ。後に旅行鞄が空かなくなったとき、経験とこの
 パワーで助けてもらった。


            添乗員の吉村陽子さん


  4日目(6月19日:木)
   ノルウエーのオスロには予定通りの9時半頃着いた。現地ガイドは勝見さんという、中年の婦人だった。
 ノルウエーは岩盤の国で、ダイナマイトがなければ成り立たない国という。ダイナマイトはスウェーデンで
 発明されたが、そうでなければノルウエーで発明されただろうという。歩きながらノルウエーの充実した
 社会保障制度について説明してくれたが、これがカルチャーショック第2だった。夕食時ツアー客の間で、
 大きな論争になった。手厚い社会保障制度を支えるのに豊富な水力発電と北海油田があり、最近ノルウエーが
 一番元気良いという

最初にバスで、フログネル公園に向かった。雨模様だったが、6月の緑が美しかった。フログネル公園の
一部となるヴィーゲラン彫刻公園は、彫刻家グスタフ・ヴィーラ
ゲンの作品のみが展示されている。
「人生の諸相」をテーマにした、ブロンズと花崗岩で出来た大小の彫刻の総数は
212点で、これらの彫刻を
構成する老若男女の人物の合計は
600以上にもなる。ヴィーゲランはその一つ一つの作品の原型を粘土で
原寸大で制作し、それらを職人たちがブロンズ像や石像に仕上げて庭園内に配置していった。

 

    オスロの緑が美しい              ヴィーゲラン彫刻公園の入り口

 庭園を南東から北西に向けて貫く850メートルの軸線に沿って、6つのセクションに分かれて展示されて
いる。すなわち、「正門」、「橋」、「子供の遊び場」、「噴水」、「モノリスの台地」、「生命の環」
である。

  

 橋(子供の表情が見もの)      子供の遊び場             噴水 

  

   モノリスの台地           飾り門              命の環

 いずれも力強い、見事な彫刻だった。特に人体でできたタワーには、圧倒された。人間の一生を描いた
噴水の彫刻は、力強さとともに何かを訴える力がある。その後国立美術館へ行きムンクの叫びなどを見たが、
テーマに絞った表現力がすごいと思った。


   昼食後はハンダゲルフィヨルド地区への、5時間余の山越えバス移動だった。バスの運転手はデンマーク
 から船で一緒について来た、ウラさんという女性ドライバーだった。至る所に美しい川や湖そして岩山が
 見える。2
,000m級の山越えの際には、未だ残雪が多く見られた。ウラさんは外国での運転は慣れない
 せいか、2度道を間違えて1時間ばかりロスをした。                                                  

 

  デンマークから一緒に来たバスとウラさん            水清き流れと岩山

 途中トンネルで20分ばかり待たされたが、何と岩盤をくり抜いた素掘りのトンネルだった。中で脆くなった岩盤を補修していたが、
日本では大問題になりそうなぞっとする光景だった。余程硬い岩だろが、風化は当然考えられる。カルチャーショック、その3だった。
ホテルに着いたのは20時くらいだったが、未だ外は明るかった。


○ 5日目(6月20日:金)

 泊まったホテルはクオリティホテルと言い、フィヨルドの一番奥に位置している。朝早く起きて散歩したが、
フィヨルドに囲まれた、見事な景観が見られた。

 

  クオリティホテル前は綺麗な石畳           フィヨルドが織りなす見事な景観

 朝8時半にホテルを出発して、ベルゲン鉄道のボスという駅に向かった。そこからミューダルという
駅に向かうのだが、列車の中では
一悶着あった。一車両貸し切りにしてあったが、既に外国人が一杯座っていた。添乗員が車掌に行って
席を空けるように言ったが、中々動こうとしない。どうも列車が到着する2分くらい前に、貸し切りの
張り紙が貼られたようだ。イタリア系らしい人たちが数名、最後まで頑張っていた。車掌もきちんと
言わないし、頑張っていた人もきまり悪そうに座っていた。

 

     VOSS駅から出発                 ベルゲン鉄道の列車

 ミューダル駅で、フロム山岳鉄道に乗り換えた。緑色に塗られた列車は、863mという世界一の急勾配を
ゆっくり走っていく。指定席でゆったりと座れ、周りの凄い景色を楽しめた。高い山や渓谷が連なり、乗客から
しばしば歓声が上がっていた。途中ジョースの滝で列車は5分間停車したが、この景観は圧巻だった。水量の
多さと滝の勢いが、半端ではない。途中いくつかトンネルがあったが、手掘りで掘ったというから驚きだ。

 

        フロム山岳鉄道                                指定席でゆったりと


  

 ジョーズの滝の凄さは何と表現したらよいか。轟音・飛沫・爆風・流れの速さ・・・何れも半端ではない。

 列車は終点のフロム駅に、昼頃着いた。小さな赤い駅舎だったが、そこがソグネフィヨルドクルーズの出発点
になっている駅の近くで昼食を取り、1時20分に船に乗り込んだ。

 

      フロム駅舎                       クルーズ船

ノルウエーで一番と言われるソグネフィヨルドは全長205km、水深1,200mを超えるスケールだそうだ。
フィヨルドの幅は平均5q、両岸は1
,000級の崖で囲まれている。途中処々に滝があったが、高さが半端では
ない。両岸の山々には残雪が残り、水が深く澄んで綺麗だった。ソグネフィヨルドの支流の一つである世界遺産
ネーロイ・フィヨルドは、実に壮大な風景だった。船には各種各様な人種が乗っていたが、特に違和感はなかった。
船は3時半頃グドヴァンゲンに着き、そこから運転手ウラさんのバスに乗りホテルに向かった。

 

      両岸の山々には残雪が                 1,000m級の滝が

             各種各様な人種が、船旅を楽しんでいた。

  グドヴァンゲンからのバスは、のどかな牧草地帯を走り、丁度刈取りが終わった草原の様子が
 見られた。至る所に 刈り取った牧草のロールが、積み重なられていた。途中ツビンネの滝を見たが、
 日本の名庭園にあるような美しい滝だった。水量も多いが、形が素晴らしい。行きかう車を見ると、
 トヨタ、三菱、ホンダの車を見かけるのが嬉しい。それと点灯を義務付けされているらしく、
 昼間でも全ての車がヘッドライトをつけて走っている。

 

   形が素晴らしいツビンネの滝           丁度牧草の刈取りが終わった頃

 6日目(6月21日:土)
  8時半にホテルを出て、バスでハンダゲルフィョルドに向かった。この国は冬が閉ざされているせいか、
 キャンプが盛んなようだ。丁度夏休みが始まったばかりで、キャンプ用ワゴンを引いた車を多く見かけた。
 またオートキャンプ場の整備も進んでおり、あちこちでキャンピングカーが集まっているのを見かける。
 閉ざされた冬から解放され、太陽に光を一杯浴びたい気持ちは分かる。途中スタインダールの滝を見た。
 この滝は水量も豊富だが、滝の裏側から見られるというので有名だ。実際裏側に行ってみるとその迫力
 には、驚かされる。この力を水力発電に生かせたら、すごいものになると思う。

 

  スタインダールの滝の水量は凄い             滝の裏側はひんやり

 12時少し過ぎに、ベルゲンに着いた。人口22万人で12〜3世紀ころは、ノルウエーの首都だった
という。ハンザ同盟の、拠点でもあったということだ。バルト海沿岸地域の貿易を独占し、ヨーロッパ
北部の経済圏を支配した都市同盟の面影が残っている。メキシコ暖流の影響で暖かいというが、日本では
釧路を思い出させる街だ。1年で雨が400日降るといわれるが、この日は幸い傘が要らなかった。
魚市場は活気に溢れており、魚を売る店が立ち並んでいる。近くのレストランで食事したが、スープは
日本人に口に合うようだ。しかしパンにはさんだハム類はしょっぱ過ぎる。塩分が濃い食事は、気候との
関係があるのか。ノルウエー産のサーモンやサバは日本でもよく見かけるが、このボーゲン湾に水揚げ
されるものが多いという。

  

 ハンザ同盟の拠点だった街      巨大なニシンの杢拓        カラフルな列車

 その後ベルゲン出身の、エドワード グリーグの生家を訪ねた。名前は聞いたことはあるが、肝心の
音楽が判らない。空はますます青く、気持ちの良い散策となった。音楽堂は屋根に草を植えてあり、
断熱効果があるそうだ。

 

      草葺きの音楽堂                 グリーグの銅像

 ホテルには、16時半頃着いた。クオリティ ホテルエドワードグリーグというホテルで、一番立派な
ホテルだった。しかし明朝が4時出発という予定で、ゆっくり楽しむ暇はなかった。

  7日目(6月22日:日)

朝3時に起きたが、荷造り等で時間の余裕はなかった。出来て間がない小さなベルゲン空港だったが、
夏休みでごった返していた。6時半に出発して、8時10分位にはアムステルダムのスキポール空港に
着いた。

 
 
     小さなベルゲンの空港              水の都アムステルダム

 アムステルダムで5時間の待ち時間の後、14時45分定刻にKLMオランダ航空直行便で福岡への
帰国の途についた。福岡空港には翌日、23日(月)8時20分頃着いた。旅を終えて日本の夜が暗い
生活が、有り難く思えた。


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