イタリア10都市周遊9日間


 日 程:H23.4.6(水)〜4.14(木)


 旅 程:福岡空港→ソウル→ミラノ→ベニス→フィレンツェ→ナポリ→ローマ→ソウル→福岡空港

     


 ○ 概 要
   平成9年のヨーロッパ旅行で行けなかった、待望のイタリア旅行だった。資料では日本より寒い
   ようになっていたが、毎日が暖かく、天候に恵まれて快適な旅が出来た。参加者が34名と
   多かったが、添乗員がベテランでスムースに全日程を終えることが出来た。


 ○ 1日目:4月6日(水)
   8時30分集合だったので6時少し前に家を出て、高速バスで福岡空港に向かった。国際線
   ターミナルには、8時10分に着いた。大韓航空はヨーロッパ向けの乗継ぎが容易ということで、
   荷物検査も発券も大変混んでおり時間がかかった。福岡空港の出発が少し遅れたが、ソウル
   には12時10分に到着した。インチョン空港はハブ空港として活気があり、設備も近代的で立派
   だった。大韓航空のスチュワデスの服装は、白いスーツに水色のスカーフと髪飾りが韓国らしか
   った。
   
       

   爽やかなスチュワデスの服装         広々したインチョン空港のアーケード
   
   出国手続きを終えて、予定通り13時35分ミラノに向けて飛び立った。11時間35分の飛行は
   流石に長く感じたが、映画を見たり眠ったりして過ごした。機内食が2回出たが、日本人の口に
   合う感じだった。夕刻イタリアに近付いたが、アルプス山脈の一部と思われる山が雪化粧して
   いるのが見えた。これを見て、ミラノは寒かろうと思った。飛行機は予定通り、18時20分頃
   リテーナ空港に着いた。
 
       

     遠くに見えるはアルプス山脈?          ミラノのリテーナ空港


   ミラノのホテルは「リバモンティ ドゥーエ エレジデンス」と言って、大きなホテルだった。20時頃到
   着したが日本人団体客が5〜6組おり、荷物の搬入とチェックインに手間取った。ポーターが二人
   しかいないということで、添乗員の杉山千草さんが自ら一生懸命スーツケースを運んでくれていた。
   寝室が2室あり大きかったが、作りは質素だった。バスに浴槽もなく、学生やスポーツ団体の合宿用
   みたいな印象を受けた。イタリアの、質実剛健?な面を見た思いがした。夜は長旅の疲れもあり、
   ぐっすり眠った。


 ○ 2日目:4月7日(木)
   今日も団体客の出発で込みあっており、7時50分出発予定が8時40分頃になってしまった。バスは
   大型で、座席にはかなりゆとりがある。ミラノ市は人口135万人で、経済とファッションの中心地として
   知られている。現地ガイドの泉さんと待ち合わせの、スポルスタジオ城に到着した。お城の前は噴水
   があり、市民の憩いの場所となっている。市街地は重厚な造りで、歴史と繁栄を感じさせる。

       

    スポルスタジオ城前にて            銀行やオフィスが多い市街地
   
   車窓から見たミラノ駅はムソリーニが作らせたものというが、大理石の重厚な造りだった。こうした
   遺産があちこちにあるのには、目を見張らせるものがある。バスを降りた正面にあるスカラ座(1778年建立)
   は外装が地味でも、内部は豪華絢爛な2800の観客席を持つ世界の舞台となっているそうだ。知り
   合いの娘さんが、スカラ座で仕事をしているという人と結婚したという話を思い出した。スカラ座が、
   ぐっと身近なものに思えてきた。

       

       ミラノ駅                 スカラ座

   スカラ座前広場には、レオナルド ダビンチの像があった。像の前を通り、ヴィットリオ・エマニヌエーレ
   2世通りに入った。アーケードは高さ49mのガラス天井で覆われており、長さは200mくらいある。
   両側にはずらりと商店が並び、大変な賑わいを見せている。

       

    レオナルド・ダビンチ像        ヴィットリオ・エマニヌエーレ2世通り
  
   エマニヌエーレ2世通りの中央ドーム下で現地ガイドの説明があったが、ドームの大きさには度肝を
   抜かれた。見上げるだけでも、幸せな気分になれる。

       

     現地ガイドの泉さん            天上ドームが素晴らしい

   中央ドームの下に4つの紋章があったが、その一つがローマを作った兄弟が狼に乳を貰う図だった。
   受験生が見事合格したという縁起の穴は、かかとで回ると合格するという。イタリア人が次々に試して
   いたが、やはり陽気な民族だなと思った。 アーケードを出ると、ドゥオモ広場になっている。片隅に
   エマニヌエーレU世の銅像があった。

       

     ローマを作った兄弟の図        イタリア統一初代国王エマニヌエーレU世像

   ドゥオモに向かいあうと、圧倒的な存在感があった。幅93m、奥行き158m、総面積が1700uの
   大聖堂で、天を突き刺すように伸びる135本の尖塔が素晴らしい。1386年から500年もかけて作られた
   というが、日本人には考えもつかないスケールだ。天井を飾るステンドグラスは、ゴシックの一大傑作と
   言われている。
                                                                                   

    

           圧倒的な存在感を見せるミラノ大聖堂
  
   昼食後は世界遺産に登録されているベローナ市街見学、最初にロミオとジュリエットのモデルとなった
   カプレティー家を見学した。ジュリエットが立ったベランダや、ジュリエットの像を懐かしい感じを持って
   見ることが出来た。先般、この家でNPOの人たちが恋に関する悩みに、返事を出しているとTVで紹介
   されたせいだろう。

       

   エルベ広場には今でも「市」が立っており、カンピオーネ作のマドンナの噴水やサンマルコの円柱が
   建っている。円柱の上には羽根の生えたライオンが載っており、その奥にバロック様式のマッフェィ
   宮殿が建つ。その後、円形競技場(アレーナ)や市庁舎を見学した。

       

    マドンナの噴水                 サンマルコの円柱

       

      円形競技場(アレーナ)              市庁舎

   バスが待っている場所へ帰る途中で見た城壁と、新緑がきれいだった。ミラノの新緑は、福岡より少し
   早い感じがした。それにしてもこのような城壁が市街地に聳え、当たり前のように市民の生活に溶け
   込んでいる様は歴史の重みを感じる。

    

   ミラノを後にしてベニス近郊のメトレスに向け、410kmのバス移動をした。途中アレージュ川を渡ったが、
   両岸のたたずまいが美しい。

    


 ○ 3日目:4月8日(金)
   ホテルの朝食はバイキング形式だが、日本と比べて品数が少ない。生野菜は無く、コーヒーは不味い。
   イタリア人は意外に質実剛健なのだなと、変なところで感心した。朝食以外は口に合うし美味しかったが、
   朝食は質素でお粗末だった。
   旅行中ローマまで同じバスで、座席が広くて楽だった。特にバスの前半分は前後が広く、足置きまで
   届かないくらいだった。バスはラグーン(干潟)を通る高速道路からルベルタ橋(自由という意味)を通り、
   ベニスに入った。

       

     運転手のサルバドールさん         干潟の中を走る高速道路


   ベニス市街へは、水上バスで移動した。ベニスは「水の都」で150の運河、400以上の橋、117の島
   からなっているというが、行ってみてその様子が良く分かった。街中に運河が張り巡らされ、船が重要な
   交通手段になっている。しかし最近は温暖化の影響で、低いところは満潮時、潮が上がってくるという
   ことだ。その対策として、歩道を架ける資材が海岸べりに積んである。

       


   ベニスは「カーニバル」(謝肉祭)や「ベニス音楽祭」で名高いが、その雰囲気を持った街だと思う。
   水上から眺める街は、一幅の絵のような美しさがある。

       

   ベニス名物のゴンドラに乗ったが、船頭は縞のジャケツを着ている。櫂さばきが巧みで、良くしゃべる。
   ゴンドラは7〜8m位、黒い船体に飾りが施され美しい流線型をしている。

       

   広い運河や細い水路を通り、時には橋の下を通る。細い路地では両側の家から生活排水が流れている
   らしく、いささか臭かった。

       

   ドウカレ宮殿の前は、大勢の観光客でにぎわっていた。昔、総督公邸として使われていたということだ。
   宮殿の裏側に「ため息橋」があり、向かいの石牢と繋がっている。昔牢獄から刑場に惹かれて行く囚人たちの、
   ため息が聞こえそうだという。

          

       ドウカレ宮殿                 ため息橋

   サンマルコ広場はサッカー場ほどに広く、市民憩いの場所となっている。広場には映画「旅情」に出てくる、
   ヨーロッパでもっとも古い喫茶店がある。「フローリアン」という音楽喫茶だが、コーヒーやビールが
   10ユーロだそうだ。奥に見えるサンマルコ大聖堂は、聖マルコの遺骸を安置する場所として礼拝堂を
   立てたのが起源だそうだ。ギリシャ正教の聖堂として、荘厳なモザイク模様が見事な寺院だ。イタリア人
   ガイドの案内で見た「黄金の衝立」は2.5tの黄金の土台に2500個の宝石がちりばめられており、
   見るだけでも圧倒される豪華さだった。

       

      サンマルコ広場              音楽喫茶「フローリアン」
  
   ベネチアングラスの工房を見学したが、色や形が美しい。イタリア人の繊細な芸術感覚を、見た思いが
   した。中世にはベネチアンガラス技術の流出を恐れた時の政府が、職人たちをムラーノ島に幽閉して
   しまったということだ。

       

    高度な吹きガラスの技を見せる職人      ベネチアングラスは色も形も美しい
                                     
   最後に自由行動の時間があったので、「鐘の塔」に登った。エレベータで30秒足らずの間に、103m
   の塔を一気に登っていく。塔の上からの眺望は素晴らしく、サンマルコ広場、ドウカレ宮殿が真下に
   見える。反対側ではサン.ジョルジュ島、ジュデッカ島が立体として見え、その向こうのリド島越しに
   アドレア海が見える。暫くの間、周りの景色を堪能した。

    

   昼食は旅行中でも印象に残った、イカ墨パスタだった。見た目は真っ黒なうどんの格好だったが、味は
   良かった。
   午後からはまたバスに乗り、フェレンツェへ移動した。ミラノからベネチア更にボローニアという都市までは、
   ポー川流域の平野が広がっていた。1枚で数町あるような畑や牧草地帯が連なっている。ボローニア
   から急に地形が変わり、急峻な山やトンネルが多くなった。バスの中で説明があったが車のナンバー
   プレートには、12の星が書いてありその両側にイタリアのIが書いてある。12の星はEUの加盟国
   を表しているそうだ。EUは現在27の加盟国があり、イギリスなど一部を除いて、ユーロが通用する。
   加盟していないスイスでも、ユーロが浸透しているらしい。
   フェレンツェには19時頃着いたが、ホテルの近くで大きな車輪が見えた。ホテルは「アルトホテル
   ミロ」と言って、ミロの絵にこだわったホテルだそうで、部屋にもミロの絵が飾ってあった。

       

     大きな車輪のモニュメント           部屋の壁にはミロの絵が

 ○ 4日目:4月9日(土)
   このホテルの朝食も、お粗末だった。品数が少なく、牛乳が薄く、コーヒーが不味い。おまけにコーヒー、
   ジュース、水などが出る多機能の給水器が1台あり、中国人がペットボトルに悠々と水を入れ始めた。
   多くの人が並んで待っていたが、余りのマナーの悪さに顰蹙をかっていた。大体日本人はイギリス人
   などに対してはゼントルマンなどと言って評価が高いが、中国人や韓国人に対して好感度が低い。
   尖閣列島や竹島問題がクローズアップされてから、更に嫌悪感さえ持つようになったようだ。彼らも
   逆の感情を、持っているかもしれない。外国に来て変なことを考えたが、このままではいけないような
   気がする。長い目で見ると近隣諸国とは、仲良くしていかなければならない。特に中国人は爆発音の
   言語で、誤解されやすいような気がする。なんとか民間交流を盛んにして、理解できるようになれば
   良いと思うが・・・。

  午前中、車で1時間ばかりのピサへ行き、斜塔や洗礼堂を見学した。ピサの斜塔は1173年に建設を
  始め、地盤沈下で傾くがそのまま建設を進めて1350年に完成している。屋上の中心は、4.5m横に
  ずれているそうだ。ガリレイが「落体の法則」の実験をしたことでも知られている。礼拝堂は天井が高く、
  内部の装飾がすごかった。ピサは東方との交易で富を得たというが、桁違いの財力には驚かされる。

    


  ピサから戻り、ミケランジェロ広場に行った。南東の小高い丘の上にあり、フィレンツェの市街が良く見える。
  広場の中央にミケランジェロの「ダビデ像」が建っており、フィレンツェの行く末を見守っているようだ。
  フィレンツェはトスカーナ州の州都で、40万人が住んでいる。中世にはミラノとローマを結んで、毛織物を
  中心にイタリア随一の商業都市となった。革製品、オリーブなどの農産物、農業機械、化学工業も盛んと
  いう。

       

   ミケランジェロ広場から市街地が良く見える      ダビデ像(複製)

   眼下にアルノ川が流れており、ベッキオ橋が見える。橋の両側は、貴金属の店が集まっているそうだ。
   昔は肉屋が並んでいたというが、臭いということで移動されたという。フィレンツェの旧市街地は世界遺産に
   登録されているというが、街のあちこちに素晴らしい建造物がある。

       

      ベッキオ橋            サン・ジョバンニ礼拝堂とジョットの鐘楼

   ドゥオモは目を見張る豪華さだった。特にミケランジェロの設計という巨大な円蓋(クーポラ)は、140年の
   歳月をかけて完成したという。円蓋はその巨大さゆえに、建設するのに時間がかかっている。ローマの
   サンピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ世界で3番目の大きさを誇るとうことだ。

    

   その後、イタリアでもっとも美しいゴシック様式の、サンタ・クローチェ教会を見た。シニョーリア広場では、
   コジモ1世像、ネチューン、ダビデなどの彫刻群があり最も美しい広場と称賛されている。

       

       サンタ・クローチェ教会           コジモ1世像

   ウフィッツイ美術館に入り、ボッティチェッリの「春」や「ビーナスの誕生」などを見た。この美術館は
   世界で最も古く、ルーブルと並んで世界で最も重要な美術館と言われている。この美術館が出来
   たのは、フランチェスT世時代の1591年という。メディチ家のロレンツォの依頼により描かれた「春」は、
   ルネッサンスという新たな「人間の時代」を象徴する春の庭園の風景が、寓意的、神話的に描かれ
   ている。教科書で見た美しい絵を近くで見ることが出来て、感激を新たにした。その他にも、レオナルド・
   ダビンチやミケランジェロ、ラファエロなど名だたる芸術家の絵もあった。

        

  夕食はローカルレストランで、ステーキ料理ということだった。フェレンツェはぶどう酒も名産品ということで、
  大きなボトルの葡萄酒が出た。改めてイタリア料理は、美味しいと思った。ツアー客もお互いに打ち解けて、
  沢山のワインを飲んで大いに盛り上がった。


 ○ 5日目:4月10日(日)
   8時ホテルを出て専用バスで、駅に向かった。イタリアの駅で不思議だったのは、駅名の表示が
  無いことだ。駅の周辺を見て回ったが、どこにも「サンタマリア」の看板は無かった。新幹線「ユーロスター」は
  左程豪華ではないが、座席が広く快適だった。10時10分にサンタマリア駅を出て、予定通り13時30分に
  ナポリに着いた。津田夫妻と向かい合わせの席だったが、話が盛り上がってアツと言う間に到着した。

       
  
   ナポリは日本でいえば、北海道から福岡まで南下したことになるのだろうか。太陽が眩しく気温もやや
   高かったが、左程の気候差は感じられなかった。バスで1時間くらい移動し、世界遺産ポンペイを
   見学した。ポンペイは紀元前8世紀に建設された人口3万人の商業都市で、紀元前4世紀にローマの
   支配下にはいった。79年8月24日に9km離れたヴェスヴィオ火山の突然の爆発で、一瞬の中に灰の中に
   埋もれてしまった。遺跡を見ると、素晴らしい文化・繁栄ぶりだ。円形闘技場、アポロン神殿、野外劇場、
   音楽堂、公衆浴場などを見て廻ったが、何れも確りとした設計がなされている。日本だと弥生時代の始まり
   くらいと思うと、信じられない文化だ。

    

       昔の船着き場方向からのポンペイ遺跡風景

   ポンペイは1748年にナポリ王カルロ7世が発掘し、現在も発掘が続けられている。ギリシャ風とローマの
   文化が入り混じった、独特のスタイルを持っている。現地ガイドのロベルトさんの案内で歩いて見学したが、
   陽が高くなるにつれて暑くなった。火山の火砕流は時速170kmの猛スピードでポンペイを襲い18mの
   高さまで積もったというが、発掘作業も大変だったろうと思った。

       

     フォーロ広場                ギリシャ文字が鮮やか
 
       

     門周りの文様が美しい          現地ガイドのロベルトさん

       

     火砕流に埋まった人型             公衆浴場跡

   ロベルトさんの説明によると当時のポンペイ人は、かなり贅沢な暮しをしていたらしい。パンは配給され、
   吐いては又食べるといった食生活があったらしい。

       

        公設市場              厨房後(葡萄酒を溜める壺がある)

   最後に少し歩いて、秘儀荘に行った。当時描かれた壁画がとても鮮やかだった。バスが迎えに来る
   近くに、既に藤の花が満開に咲いていた。日本より1ヶ月近く早いのかな。

       

   バスでナポリまで戻り、ホテルに入った。ナポリの街は恐ろしく汚く、いたる処ゴミの山だった。ゴミ回収業者
   のストが解決していないということだったが、それにしても汚い。世界有数の観光地が台無しだ。その後海岸を
   散策して、ホテルに入った。

       

       卵  城                  ナポリの海は美しかった

 ○ 6日目:4月11日(月)
   8時半からバスに乗って、海岸まで行った。ナポリの海はおだやかで、遠くにベスビオス火山がかすんで
   見えた。ベスビオス火山は3500mから、爆発により1277mまで小さくなったという。元の姿はここから
   見ても、富士山みたいに綺麗だったろうなと思った。カプリ島へは、300人位乗れるジエットフォイルで渡った。

       

   約T/3に小さくなったベビオス火山        大型のジエットフォイル

   カプリ島の海岸は、青く澄んだ空と住宅の赤が相まって美しかった。ナポリから南へ30km、人口1200人の
   小さな島だ。古代ローマ皇帝たちの別荘地だったという。

       

    カプリ島からは、更に貸切の小型ボートに乗り換えて、青の洞窟に向かう。現地ガイドは如何にもイタリア人
    という風貌だった。

       

   青の洞窟の手前で手漕ぎボートに乗り換えて、小さな入り口から洞窟に入る。現場に来て漸く、入場確率
   三分の一という意味が分かった。波が少しでも高いと入口から中へ入れない。洞窟の入口には、順番待ちの
   手漕ぎボートが待っている。ボートに這い蹲るような姿勢で入口をくぐると、素晴らしい景色が待っていた。
   船頭の「ウシロ、後ろ」という声に振り向くと、入口から差し込む光で水が真っ青に輝いている。僅か5分くらい
   だったが、青の洞窟の景色を堪能した。洞窟は高さ30m、幅15m、奥行き55mで、ボートは中をゆっくり
   一周した。入る時より洞窟を出る時の方が、大変だった。外海から打ち寄せる波が高くなり、前のボートは
   入口付近で待機していた。先頭に乗っている人は、かなりの波をかぶったはずだ。

       
  
   全員無事青の洞窟の見学を済ませ、小型ボートでカプリ島へ引き返した。この頃になると波が少し荒くなり、
  少し気分が悪い人が出てきた。カプリ島に到着後「フニクリフニクラ」の歌で有名な高台に、ケーブルカーで
  登った。山頂からの眺望は、素晴らしいものだった。

       

    「フニクラ」の看板が見える            高台からの眺望

   カプリ島からはジエットフォイルに乗りナポリへ引き返したが、皆の顔に満足感が浮かんでいる。ここまで天候に
  恵まれ、青の洞窟に入れて満足度100%だ。ナポリからローマへのバスの中では、疲れが出てぐっすり眠って
  しまった。今日携帯電話で、知事・県議選挙で、民主党が大敗したというニュースが入った。不在者投票を済ませて
  きたが、久々に聞いた日本のニュースで新鮮な感じがした。


 ○ 7日目:4月12日(火)
   ローマのホテルは、「FOUR POINTS SHERATON ROMA WEST」というホテルだった。出発が8時半と遅かった
   ので、近くを散歩した。ローマには3000年の歴史があり、ラテン語、芸術と建築、法律、宗教、「権利」の概念と
   世界に及ぼした影響は大きいという。この2日間のローマ見学は、楽しみだ。

    

   午前中オリビエートという、人口4万人の要塞都市を見学した。街全体が城壁に囲まれ、高台にある。最近は
   平地にも住宅地が広がってきている。街に入るには、曲がりくねった坂を登らねばならない。高台は百数十
   メートルもあろうかという高さで、その上に十数メートルの要壁に囲まれている。街全体が山城となり、要塞化
   されている。

       
  
   街は綺麗で、全て石畳で舗装されている。お伽の国にいるような雰囲気だ。

       

   ポポリ広場には旧市庁舎があり、沢山の車が駐車している。時にはここで「市」が開かれ、大いに賑わうことが
   あるという。街角には高い見張り塔があり、要塞だった名残りが見られる。

       

        旧市庁舎                見張り塔

   この町のドゥオモも素晴らしい。この町の財力を、偲ばせるような大きさだ。
 
       
    
   昼食はローカルレストランで、「サルティンポッカ」という料理を食べた。白ワインと新鮮な野菜そしてキャビアが
   美味しかった。

       

   午後はチビタ・ディ・バニョレージョという天空都市を見学した。天空都市とは要するに、下界から隔絶された
   世界ということだ。都市に行き着くには、かなり歩かねばならない。最後の急勾配は、かなりこたえた。

       
  
   都市の入り口には城門があり、堅固な要塞に見える。街を歩くと城壁に銃眼があり、要塞そのものだ。

       

   このような街にも小さな教会があり、内部は端正なたたずまいを見せている。


       

   夕食は一旦ホテルに着いた後、近くのレストランでカンツォーネデナーだった。わざわざ背広、ネクタイ、
   革靴を持参したので、それを着て行った。ピアノの演奏に合わせて、70歳位の歌手が豊かな声量で親しみ
   易いカンツォーネを歌ってくれた。沢山のワインが出て、腹一杯飲んだ。

    


 ○ 8日目:4月13日(水)
   ローマ市内観光で、笠松が生い茂る国道1号線を通って出かけた。最初にトレビの泉に行った。「ローマの休日」
   という映画で、余りにも有名になった場所だ。我々も後ろを向いてコインを投げ入れた。ガイドさんが「盗難に
   注意」とバスの中で繰り返していたが、とうとう被害者が出た。コインを出そうとして、財布を仕舞ったところを
   掏られたらしい。

       
  
   次いでスペイン広場に行ったが、スペイン大使館があったのでこの名前が付いたらしい。バルカッチャの
   泉があり、奥にあるスペイン階段を登るとトリニタ・ディ・モンティ教会がある。

       

   次いでコロッセオへ行ったが大変な混雑で、入場まで暫く待った。高さが57m、4階建ての円形競技場で
   5万人の観客席があり、15階建てのビルに匹敵する大きさだ。

       

    
   午後はバチカン市国観光で、巨大な城壁を潜ってバチカン市国に入った。バチカン市国は人口1000人で、
   面積は0.5uしかない。世界最小の独立国だが、約10億人の信者を持つカトリックの総本山である。
    
    

   システーナ礼拝堂は、天上画が見事で上を向いて歩いたら首が痛くなった。礼拝堂全長40.23m、高さは
   20.7m、幅13.41mのスケールで、壁画・天井が見事だった。常に満員の見物客でごった返しており、
   ゆっくり進むのが精いっぱいだった。

       

   サン・ピエトロ大聖堂は、規模・装飾とも華麗なカトリック教の大聖堂で、バロック建築の幕開けになったとも
   言われている。サンピエトロ広場には、年間数百万人にの巡礼者や観光客が訪れる。

    

          サンピエトロ寺院


   バチカン市国観光後、暗くなりかけた頃空港に着いた。ローマ空港は、別名レオナルド・ダビンチ空港と言い、
   ダビンチの像が印象的だった。ローマ空港発が22時45分と遅く夕食無しだったので、かなりお腹が空いた。
   直ぐ機内食が出たので、満足して眠れた。

    
 ○ 9日目:4月14日(木)
   行きと比べて、帰りは時間が短く感じた。実際に偏西風の関係で、飛行時間は短いらしい。16時40分に
   金浦空港に着いた。空港では2時間近く時間があったので、買い物をしたりして過ごした。福岡空港には
   予定通りの、19時50分に到着した。
   この旅行は全体を通して、気候が良く予想より暖かかった。カプリ島の青の洞窟にも入れたし、こんなに
   天候に恵まれたツアーも珍しいくらいだ。バスだけで廻るのではなく、ユーロスターは変化をもたらして
   くれた。ガイドの杉山さんが要所を確り抑えて呉れたので、快適な旅が出来た。総じて、満足度の高い
   旅行だった。


 ● あとがき
   旅行記を書き終えて、その意味を考えて見た。楽しい旅行の思い出を、残しておくという意味はある。
   それ以上に思ったのは、追体験が出来るということだ。2週間かけて書き終えたが、もう一度旅行繰り
   返したような気分になった。
   2週間という目標は自分で設定したが、根気を試した部分がある。仕事では期限があるが、今はそれが
   無い。たまには自分を追い込むのも、良いことだと思った。
   人間の記憶はかなり怪しいもので、忘れたり、間違って覚えたり、前後があやふやになっていることもある。
   そういう時は、日程表やガイドブックで調べたが、それでも分からないところはバチカンで買った本や
   インターネットで調べた。一番確かなのは撮った写真で、きっちり時系列的に並んでいる。写真を頼りに
   前後が確認でき、ストーリーが繋がる。


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