日 程:H23.7.7(木)~7.12(火)
旅 程:福岡空港→上海→成都→九寨溝→黄龍→若爾盖→成都→上海→福岡空港
○ 概 要
標高が3,000m級の高地であり体力が必要なことと、中国が政情不安であり今の中に
行っておこうと思った。日程も6日間と短く、九寨溝(きゅうさいこう)黄龍(こうりゅう)・
若爾盖(ぞるげ)と興味をそそる名称に惹かれて行ってみることにした。
成都で中国の1元札を見て、エジプトと共通点があると思った。お札が物凄く汚い、車
優先で運転が荒い(上手い)、住民が貧しい、工事の風景が多い等似た所が多い。しかし、
工事の風景は中身が違う。中国は道路や新幹線など建設的ものに対し、エジプトは遺跡
発掘やゴミだらけの運河の浚渫など後ろ向きなものが多い。国土の広さや意欲的開発を
見て中国恐るべしと思うが、貧富の差、人種問題、人命・人権軽視が見られ幸せ度は少
ないと思った。中国は急激な発展ぶりでバブルの崩壊の危険が懸念されているが、余り
にも広い国土を見てどうなるのか分からないと思った。
チベット自治区で中国の軍人を見かけたが、体型・服装も確りしており規律は高いと感
じた。ヒスイ工場を軍隊が守っ ていると聞いたが、結局90%を占める漢民族を異民族から
守るためだろう。
中国人が嫌いというツアー客が多かったが、領土問題や中国人の言語・態度やマナーが
影響していると思う。しかしよく見ると、彼らの中にもルールがありおおらかな良さも見て
取れる。中国の体制の是非はともかくとして、仲良くしていかねばならない隣人だろう。
中国の軍事優先の一党独裁体制や猛烈な発展が、平和的な方向に落ち着くことを願わず
にはいられない。
○ 1日目:7月7日(木)
空港に12時集合なので、ゆっくり家を出た。雨が降っていたので、タクシーで商工団地の
高速バス停まで行った。中国東方航空の飛行機は、搭乗手続きに左程時間はかからず
スムースに飛行機に乗れた。
添乗員の三浦さん 大きな上海の空港
上海で入国審査を終え、時差時間を修正した。福岡空港から、1時間35分かかったことになる。
18時過ぎ上海の空港から成都に向かう飛行機に乗ったが、なかなか出発しない。状況が分から
ない中、ずいぶん長いこと待たされた。機内説明も中国語と英語で分からないし、添乗員も廻って
こない。この間機内食が出て食べたが、こんな経験は初めてだった。結局上海を発ったのは、1時間
半遅れの19時半だった。成都の空港に22時半頃に着いたが、周りの様子も良く分からなかった。
添乗員は中国ではよくあることだというが、改めて日本の良さを実感した。成都空港の印象は、少し
汚いローカル空港の感じだった。車で少し走って、芙蓉麗庭酒店というホテルに0時半頃着いた。
ホテルはお湯の出が十分でないだろうという添乗員の説明で、シャワーだけにした。タオルは色黒く、
二度と泊まりたくないというツアー客が多かった。
成都の空港 少し汚いローカル空港の印象
○ 2日目:7月8日(金)
7時半に成都市内観光に出発した。成都は1千万人が住む四川省の大都市と言うが、未だ発展
途上という感じだった。四川省全体では、8,600万人いるという。空が曇っていて黄砂かと思ったが、
そうではないらしい。成都は標高600mにある盆地で、曇りの日が多いらしい。そのお陰で、成都は
色白の美人が多いという。
最初に向かったのが、成都パンダ繁育研究基地という処だった。現地ガイドは唐健烽さんといって、
30歳代の愛くるしい顔をした青年だった。成都大学を出て英語ガイドを目指していたが、日本語ガイド
の方が稼げるということで変わったという。市内に彼女はいるらしいが、条件が整わずまだ独身だという。
唐さんによれば中国でもマンション持ちとか車持ちなど、結婚の条件が厳しく高齢結婚が増える傾向
らしい。
パンダ研究基地 現地ガイドの唐さん
大熊猫はその名の通り熊と猫の性質を持っており、1万年前は肉食だったという。土地の隆起など環境
の変化に順応して、草食になったらしい。笹は好物らしいが、他にかぼちゃなども食べるそうだ。丁度朝食
の時間で切り取った笹を、盛んに食べていた。その性質も、未だ分からないことが多いという。
園内にはレッサーパンダも飼育されており、活発に動き回っていた。設備としてパンダのお産所などもあるが、
赤ちゃんは150g~200g位しかなくレッサーパンダと同じくらいという。
パンダのお産所前 レッサーパンダ
途中総合民芸品店に寄ったが、そこに古い地図を展示してあった。成都や西安はシルクロードの出発点に
当たり、西はイスタンプールやローマの地名も見える。その影響か民芸品店でも、絨毯織りの実演や販売を
行っていた。
左の方にイスタンプールの表示が見える
バスで成都市内を走ると、道路工事が目立つ。一方で区画整理された地域もあり、建設と破壊が物凄い
スピードで進行しているようだ。工事は人海戦術でのんびりしているが、建設のエネルギーは十分感じられる。
見た感じでは昭和40年代の日本を見るようだが、一部で言われているバブルの崩壊は当分無いように思
える。有り余る人口、国土、そして豊かになろうという意欲を見ると、まだまだ発展の余地があるように感じた。
むしろ政治体制の方が人々の意識の変化で、どうなるか予断を許さないと思った。
延々と続く建設工事 破壊された市街地
午後成都から九寨溝へ、飛行機で移動した。九寨溝黄龍空港は標高3,500mの高地にあり、添乗員
から高山病の注意を受けた。もともとは軍用や、砂金を運び出すための空港らしい。100人位乗れる小型
ジェット機だったが、飛行高度が低く雪を被った山脈が見えた。空港関係者はチケットのもぎり方など、
とても乱暴だ。国民性なのか、官営企業の名残なのか。日本のおもてなしの心から見ると、とても未熟に
見える。15時空港に着いたが、やや登りの通路を歩く際、寸時胸が苦しくなった。その後この状態が続いた
ので、用心して行動するようにした。
空港から九寨溝のホテルに移動するバスの車窓からは、延々と草原の風景が続く。チベット族自治区と
いうことで、タルチョという旗を掲げヤクや羊を飼っている家が点在する。ガイドの説明によるとチベット民族
は大乗仏教の敬虔な信者が多く、ラサまで2,300kmの巡礼の旅に出ることが多いという。チベット族は
遊牧民族で、歌と踊りが上手いということだ。中国は92%が漢民族で、残り8%が52の種族という。漢民族
にも色々あると思うが、異民族の人口がこんなに少ないとは思っていなかった。
日本ではあまり考えられないが、バスが途中で給油した。かなり時間をかけて給油したが、お客は
ほったらかしのままだ。ガソリンは100円/Lくらいらしいが、トイレや買い物などドライブイン的なサービス
は無いようだ。売店らしきものはあるが、チベット族の店だから買わないとトラブルになるとガイドは言う。
ガイドの説明から感じるのは、中国政府はチベット族に対し大変な気遣いをしているようだ。優遇処置と
ヒスイ工場の軍隊常駐など、硬軟取り混ぜた処置をしている。
乗客を待たせて悠々給油 人気のないガソリンスタンド
17時頃ホテルに着いたが、ツアーでは一番良いホテルだった。「SHERATON HOTEL」といって
有名なホテルらしいが、欠点は食事に行くのに5分以上歩かなければならないことだった。山岳特有の
降雨地帯で、ホテルの傘を借りて食堂に行った。
○ 3日目:7月9日(土)
昨日と同じレストランで、朝食を取った。静かな朝で、廻りの山々が美しく印象的だった。雨模様の中
バスで、世界遺産九寨溝見学に向かった。あらかじめ準備したカッパと傘を持って行ったが、殆ど雨の
中の見学となった。
最初に訪れたのは「火花海」といって、水のきれいな静かな佇まいの湖だった。
歩いて上流に向かったが、コバルトブルーの水や諸所に見える滝が美しい。7月に入り水量が増している
ということだが、湖底の模様が見事だった。このスケールと美しさは、ここでしか見られないかもかもしれない。
湖底の模様が美しい 諸所に美しい滝が見える
諸日朗滝 日本語の説明は少ない
水の色が美しかったのは、「五彩池」だった。九寨溝でも一番標高の高い方にある。ガイドの説明によると、
混雑を避けて一番山上から見学するということだった。
コバルトブルーと緑の五彩池 水深は10m位か
バスで、最上流の「長海」に着いた。ここで大休止をしたが、静かな湖の様子が印象的だった。雨もやや
小降りになっていたが、基本は歩くことが多くやや疲れた。
長海の静かな佇まい 九寨溝最上流の標高3,103m
九寨溝の入口から長海までバスと徒歩で登った後、分岐点にある鏡海に戻った。ここから又上流を目指
したが、バスと歩きの連続でやや疲れ気味になった。九寨の意味はチベット族の九つの村が有ったことから
付いたものだという。昼食はチベット族の経営らしいレストランで食べたが、味は良かったが清潔な感じでは
なかった。
鏡海はその名の通り、鏡のような水面から付けられたという。心なしか気持ちも静かになったような気がする。
更にバスで上流に移動し、孔雀海~五花海に行った。水の色が五彩池と一緒で、スケールが大きい。どうも
此処が、九寨溝のメインスポットらしい。湖だけでなく、雲、山、森林、湖底の倒木までもが美しい。
コバルトブルーの水面が美しい 雲、山、樹木、水、倒木が絵の様な
バスは笹竹海まで行って引き返すことになるが、ここは中国人の観光客も多かった。
箭竹とは日本で言う矢竹のことらしい 中国の観光客で一杯
バスで少し下って、徒歩で真珠灘滝へ行った。ここは急流に沿って木道が整備されており、歩きやす
かった。滝はスケールが大きく、こんな近くで見られ るのも珍しい。
木道が良く整備されている 滝の迫力にはビックリ
更にバスで下り、静かな犀牛海至った。ここで珍しい建造物を見たが、水の力で銅製の鐘のような
ものが廻るようになっている。色とりどりの布が飾ってあり、宗教的なものと思える。ガイドの説明に
よると鐘の中に「お経が」入っており、これを回すことにより功徳になるそうだ。人力によらず水力で
永久に回す知恵は、中国人らしいと思った。
更に木道を下って、樹正滝、臥龍海、盆景灘など見て漸く入り口に辿り着いた。疲れて、入口からバス
のところまで長く感じた。
樹正滝 臥龍海(湖底に龍の影が見える
樹正群海に見事な滝が 九寨溝出口
シェラトンホテルは連泊だったので、洗濯した下着が殆ど乾いていた。夕食のバイキング料理を食べた
後、チベット民族舞踊ショーを見に行った。チベ ット族に天性の美声を持つ女の子がいると、TVで放送し
ていたので期待していた。華やかな民族衣装とエネルギッシュな歌声は、見応えがあった。ショーには
物語があり、ラサへ巡礼の旅に出たお婆さんが亡くなってしまうが、天国に召されるという話だった。若い
男女の劇団で流石に声量豊かで良い声をしていたが、マイクを使っていたのには失望した。あの声で
あれば、肉声でも十分届くと思われる。
お婆さんがヤギを連れて巡礼に 若い男女の劇団
○ 4日目:7月10日(日)
7時半頃出発し、バスで雨やガスのかかった山道をひたすらに走った。中国の山道は、一歩間違えば
大事故に成りかねない可能性がある。山腹はむき出しで大岩が露出しているし、がけ下は何時崩れても
おかしくない様相を呈している。日本では考えられない、道路状況だ。人命軽視とまでは言わないが、日本
に比べて一人ひとりの命の尊厳が薄い感じがする。国土の広さや辺境の地ということを考えれば、仕方が
ないのかもしれない。途中雪山梁子という標高4,000mの峠を通過したが、ガスがかかっており5,588mの
雪宝山は見えなかった。
黄龍はトルコで見たパムツカレと同じで、炭酸カルシュームが作り出した石灰棚ということだ。行きは8人
乗りのロープウェイで5~6分で着いた。案内書ではロープウェイから黄龍寺までが50分、五彩池巡りが
20分、入口までの下りが2時間となっていたが、実際はそれより遥かに時間がかかった。雨は酷くは
無かったがしとしとと降り続く中、木道をひたすら歩くことになる。
黄龍寺はこんな所にと思うくらい、立派なお寺だった。お寺に参ってから、左回りに五彩池に向かう。
木道は良く整備され、石灰棚らしい形をしたものが、あちこちに見え始めた。
上から見た五彩池は、見事な風景だった。トルコのパムツカレよりも広範囲に散らばっているが、周りの
風景は美しい木々と相まって見事なものだ。
遠くに黄龍寺が見える 雲が垂れこめる中なり振り構わず歩く
五彩池全景 コバルトブルーの水の色が見事だった
分岐点から下り始めたが、これは長かった。雨のせいもあり肌寒く、トイレが近かった。諸所にあるトイレ
には、必ず立ち寄って行った。添乗員さんから聞いて分岐点の近くで、ココアを買って飲んだ。大きなカップ
にたっぷり熱い湯を注いで出してくれたが、これが途轍もな薄い。一口飲んでコップを返したが、日本では
考えられない。日本人が贅沢なのか、中国が貧しいのか考えさせられた。下りにパムツカレより立派な
石灰棚があったが、こちらは壁が真っ白でなく黄色いのが特長だ。7月に入り水かさが増した滝は、美し
かった。
黄色い石灰棚 水量豊かな流れ
盆景池は下りの中間点だったが、水の色と石灰棚が見事だった。よく整備されて木道の沿線に、このような
風景が何ケ所も点在する。
この後ハプニングが起きて、和子とはぐれてしまった。トイレに行きたくなり、和子は先に行っているからと
下って行った。終わってふと見ると、トイレから下へ道が繋がっている。元の道を戻れば良かったが、先行して
いるだろうと思い真直ぐ下って行った。姿が見えないので心配しているだろうなと思い、さらに足早になり下って
行った。途中から追い越したみたいだと確信したが、もうどうしょうもない。適切に判断して下っているだろうと
思い、一番下まで下って行った。下で降りていないのを確認して、300m位引き返してところでやっと合流した。
途中に白糸の滝見たいな、情緒ある滝があった。名所には必ず説明書があるが、中国語と英語ばかりで
日本語は未だ無かった。日本人観光客も黄龍では、マイナーなのだなと思った。
洗身洞の滝 幾重もの滝筋が美しい
黄龍での歩数について添乗員は4万歩というが、計った人によると2万2千歩くらいだったという。
実感として、その位かと思う。それにしても寒さと、下りとはいえ久々の強行軍でかなり疲れた。
黄龍からバスに乗って、若爾盖へ向かった。チベット族の放牧地と村を抜けて、延々と走る。200km
走っても、同じ様な風景が広がっている。広大と言うには余りにも広いチベット自治区を見て、吃驚した。
山と道路の間が放牧地で、その中心にチベット族のテントがある。隣との境界まで数km有り、ヤクや
羊が悠々草を食べている。現地ガイドにテリトリー争いは無いのか聞いたが、信仰心が篤い民族で争い
事は無いという。
延々と続く草原 放牧のヤクやテントが見える
若爾盖のホテルに着いたのは、既に薄暗くなってからだった。かなりの高地と見え、肌寒く感じた。
ここは新しい観光地らしく、ホテルも店も建設中だった。荷物を置いて近くのレストランに食事に行ったが、
いたるところ工事中だ。レストランも未整備で、チベット族らしい従業員も自装のままだった。かなり癖のある
夕食を食べたが、和子ともう一人の女性がバス酔いと高山病で食べられない状態だった。二人で女性が
持ってきた梅干を食べて、凌いでいた。
○ 5日目:7月11日(月)
高原湿地観光のバスが込むということで、7時半に出発した。着いてみると、肝心のシャトルバスが来て
いないで暫く待たされた。観光地としてまだ慣れていなので、こんなこともあるとガイドは言っていた。バスの
運転手も管理人もチベット族が多いようだ。管理施設も未整備で、全てが今からという感じだった。チベット
自治区全般にわたって、中国政府の気使いは相当なものだ。雇用や販売する権利を保障し、ヒスイ工場に
軍隊を派遣するなど融和政策と警戒をしている。ガイドは将来この付近まで、新幹線が出来ると言っていた。
花湖の管理施設 一面の湿原だが花は未だ少ない
高原湿地の気温は7月とはいえやや肌寒いくらいで、流石3,480mの高地だ。規模も大きく、
4,900㎢もある高原泥炭地となっている。よく整備された木道を数キロ歩いたが、処々に美しい
花が咲いていた
キンバイソウ ウスユキソウ 桜草
高原湿地の観光が終わり、見渡す限りの草原の中を九寨溝黄龍空港に向かった。途中チベット
族経営らしい、乗馬体験があっていた。昼食は川主寺という街で食べる予定だったが、警官が街の
入口を固めており入れなかった。勿論、何の説明もない。警備の様子から見ると事件発生ではなく、
政府高官が来るために一般人をシャットアウイトしているようだった。日本では考えられないが、中国
では当たり前のように行われているようだ。
チベット族らしい施設 乗馬体験
空港に着いて、貰った酸素ボンベを捨てた。かなり大きなもので、長さ50cm・直径10cmくらいある。
九寨溝、黄龍、若爾盖と持って廻って捨てるのは悔しかったが、一度も使うことなく捨てた。成都への
飛行機は順調に飛び、1日目と同じホテルに着いた。
○ 6日目:7月12日(火)
ホテルを8時ごろ出て、成都市内観光に出た。武候祠は三国志時代の、蜀の英雄の顕彰館と思えば
よい。武候とは劉備玄徳に仕えた、諸葛孔明のことを言う。劉備の墓や、孔明、関羽、張飛の像なども
飾ってあった。
三国志は本や映画で何度か見たことは有ったが、中国人の間では大変な人気らしい。諸葛孔明は
単に 軍師として優れていたばかりではなく、人の育成や政治経済にも大きな功績を残したということだ。
かなりの規模と整備状況であり、中国の別の一面を見た思いがする。
引き続き見た錦里は、中国版「おかげ横丁」の感じだ。古い街並みに色々な物を売っており、楽しめた。
あまり押しつけがましい売り方ではないし、なんだかほっとする時間だった。
午後から飛行機で上海へ飛び、3時間余りの乗り継ぎで福岡空港に向かった。福岡空港に着いたのは
9時近くだったが、国際空港横から産交バスで久留米に向かった。
○ あとがき
旅行記を書いている途中の7月23日に起きた中国新幹線の事故では、政府の余りにもお粗末な一面が
見えた。焦りにも似た意欲的発展に、限界が見えた象徴的出来事だったと思う。一般国民の貧しさやチベット
族の未開発ぶりを見ると、まだまだ時間がかかりそうだ。また8月2日から6日にわたって、中国安寧省合肥市
から二人の中学生が交換学生として我が家に泊まりに来た。合肥市は久留米市と姉妹都市で、毎年人事
交流を続けている。孫の遼太が18日から合肥市に行くが、その交換として二人を引き受けることになった。
劉 耕(リュウガン)君と呉子愷(ウーズカイ)君といって、二人とも一人っ子らしい。両親が中学校の教師をされて
いる中学3年生で、9月には高校に行くことになっているという。接してみると二人とも素直な性格で、能力が
高い。英語がとても上手で、パソコンも上手に使いこなす。片言の英語はあまり通じなかったが、英語は発音
が流暢で単語も良く知っているように思えた。ノートパソコンを持参し親とメールしたり、ホームページの紹介
をしてくれた。中流家庭の子供と思えるが、教育は行き届いていると思った。また大変素直な性格で、和子に
「グランド ママ」と甘えたり、久留米市の花火大会やバベーキューのスイカ割りなど大変喜んでいた。
感心したのは、二人とも目的意識がはっきりしている。事前研究を確りしてきているのだろうが、本屋やヤマダ
電機では短時間で目的のものを買って終わる。英語は小学校3年生くらいから習うというが、日本と比べて
格段の差を感じる。中国はアメリカと対抗意識を燃やしているが、一方で英語教育を重視している。国として
政治体制の未熟さや急速な発展の陰の歪みはあるが、目的意識の徹底ぶりは恐るべきものがある。広大な
土地と意欲的な道路・新幹線などの建設は、中国の限りない可能性を感じる。今後とも中国問題に関心を持ち、
日中友好を願っていきたいと思う。
20011・8.17記